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Your search : [ author:文·侯若虹写真·郭実 魯忠民 馮進] Total 944 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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1. マイホーム時代の新生活
中国では近年、都市住宅制度改革(住宅改革)が進められてきた。中国の住宅は、福利住宅(勤務先から賃貸する公有住宅)から商品住宅(使用権、所有権などを個人が購入する私有住宅)に変わり、住宅を手に入れる方法も、「住宅分配」を待つスタイルから、個人の経済力をよりどころにした「商品住宅購入」に変わった。そして住宅こそが、庶民の最大の私有財産となった。こうした一連の改革は、生活に多くの変化をもたらしただけでな
Author: 文·侯若虹 写真·郭実 魯忠民 馮進 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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2. 寝てもさめても訓練!訓練! 中国人民解放軍儀仗隊
「中国の儀仗隊は、私がこれまで見た中で一番みごとである」―アメリカのニクソン元大統領は、かつて中国を訪問した際の印象を、回顧録の中にこう記している。中国人民解放軍儀仗隊は、諸外国のそれと同じように、国際慣例にしたがい、外国の元首や貴賓の公式訪問を送迎して閲兵を受けたり、国内の重要な活動に出動して、儀仗礼の任に当たる。1953年に成立以来、出動はすでに1000回を超えた。儀仗隊員は、一般の兵士とは別
Author: 写真 馮進 魯忠民 文 劉耀林 Year 1989 Issue 10 PDF HTML
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3. 中軸線に沿い再生する北京
元の初代皇帝·フビライが北京に都を構えて以来、北京は帝都として「中軸線」の概念をもとに都市づくりを進めてきた。 「中軸線」とは、「礼治」思想を体現するもので、「天子は中心にあり、北を背にして南を向く」という考えからなる。紫禁城(故宮)を中心にして、重要建築物を南北に一直線上に配するというこの構造は、皇帝の権力は絶対であることを示す。中国人特有の建築美だともいえるだろう。 南起点の永定門から、正陽門
Author: 王浩 沈暁寧 高原=文 魯忠民 馮進 楊振生=写真 Year 2007 Issue 12 PDF HTML
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4. 6新疆 トルファン 早わかりマップ
わたくし、姓は孫、名は悟空、人呼んでスーパー·モンキーと発します。トルファンです!トルファンでございます!北縁を火焰山にふちどられたオアシス。さながら、すりばちの底のように深くくぼんだ盆地の最低点は、海抜マイナス一五〇メートル。中華なべの底といってもいいでしょう。あついんです。炎をふき出して燃えあがるような赤い山肌の、草一本ない山脈。そう、おいらが、その昔、大活躍した火焰山に、みなさまをご案内しま
Author: え 魯忠民 Year 1988 Issue 12 PDF HTML
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5. 龐薫琹(パンシュンチン) 工芸美術の価値を提唱
龐薫琹は字を虞鉉(ぐげん)、筆名は鼓軒と称した。一九〇六年六月二十日、江蘇省常熟県に生まれ、幼少時から絵を好み、十歳で花鳥画を学び始める。青年時代は上海暨南大学で医学を修めたが、のち美術を専攻した。一九二五年、フランス、パリに留学、絵画を学び西洋の近代美術の影響を受ける。パリでは、工芸美術のジャンルにも挑み、服飾デザインの仕事にかかわった。帰国前、彼には二つの目標が芽生えていた。一つは、西洋画の創
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 3 PDF HTML
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6. 徐悲鴻(シュベイホン) 中国絵画の改革を推進
徐悲鴻は、中国の近代美術に大きな影響を与えた人物だ。一八九五年、江蘇省宜興うまれ。祖父は村で仕立てをしながら田畑を耕し、父は独学で絵を学ぶ傍ら、瓜を栽培し、私塾を開いていた。その後、洪水のために一家の生活が困窮し、徐悲鴻は父に従い、絵を売って生計をたてるようになった。のちには、彭城中学校の美術教師となった。一九一七年、絵を売って得た資金で日本に留学。留学中は、毎日博物館や個人宅に通いつめ、様々な絵
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 4 PDF HTML
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7. 沙耆(シャチィ) 闘病生活から生まれる美
今年春、「沙耆芸術七十年作品回顧展」が北京の中国美術館、上海美術館、台北歴史博物館を巡回し、各地で大きな注目を浴びた。美術評論家は、この特別な画家の特別な絵画を、見る人に独特の魅力を感じさせるものと称えた。沙耆は一九一四年、浙江省鄞県沙村生まれ。もとの名は沙引年だが、字を吉留と称し、号を沙耆とした。一九二九年から三六年にかけて、上海昌明芸術専科学校、上海美術専科学校、杭州芸術専科学校、中央大学芸術
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 6 PDF HTML
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8. 陳抱一(チェンバオイ) 狂わされた運命と芸術
陳抱一は、一八九三年、上海に生まれた。父は招商局の要職にあり、恵まれた家庭環境に育つ。少年時代から芸術を愛し、理解ある父に支えられて、美術関係の書籍を買い集め、没頭する日々を送った。そして恵まれた条件のもと、比較的早くから、西洋画に取り組んだ。初期に私淑したのは、中国における西洋画の黎明期、重要な役割を果たした張聿光(一八七一~一九六八)、もう一人は、中国初の私立美術学校の創設者、周湘(一八七一~
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 7 PDF HTML
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9. 董希文(ドンシーウェン) 少数民族を描いた先駆者
一九四九年十月一日、天安門城楼に建国の元勲が並び、毛沢東が中華人民共和国の成立を宣言した場面を描いた作品『開国大典』は、華麗な色彩と、溢れる躍動感によって、中国で広く知られている。この絵の作者が董希文である。董希文は、一九一四年、浙江省紹興の柯橋に生まれ、四年後、家族とともに杭州に移った。父の董萼清は地方の文物鑑定家だった。希文は幼少から絵画を好み、およそ本の空白部分は、アヒルのヒナや小犬などの絵
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 8 PDF HTML
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10. 潘玉良(パンユゥリャン) パリで花開いた女流画家
潘玉良は、数奇な運命のもとに生まれた。もとの名は、張玉良といい、一八九九年、生まれたのは安徽省相城の職人の家だった。一歳で父を、二歳のときにはただ一人の姉を亡くした。一家の生活は母が刺繍の手仕事で支えたが、八歳の時には母も亡くなり、母方の叔父に育てられた。だが、十四歳になると叔父の手で相城の妓楼に売られた。惨めな数年を過ごしたのち、十六歳で相城の税関監督、潘賛化によって身請けされ、上海で養われるこ
Author: 魯忠民 Year 2001 Issue 9 PDF HTML